2015年12月06日

今回泊まった安曇野のホテル

今回泊まった安曇野のホテル

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室内

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風景

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レストラン

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料理

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夜景

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朝食

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建物

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2015年11月08日

正しい佐渡島旅行入門4

佐渡島に里帰りしてきました4

 佐渡ベルメールユースホステルに泊まった翌日は、まず初めにユースホステルの目と鼻の先にある尖閣湾を見学。ここは、私が子供の頃からよく知っている場所ではありますが、いちど息子と嫁さんに見せたかったところでもあります。まず写真を見てください。絶景に驚かれるかと思います。

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 実は、この絶壁は、日本では珍しい流紋岩の浸食作用でできたもので、高さ約30メートルもあり、世界一の峡尖美として名高いノルウェーのハルダンゲル峡尖に勝るとも劣らないことから、その名を直訳して名付けられました。ちなみに流紋岩というのは、火山岩、つまり火山から出てきた岩の一種で、二酸化ケイ素を多く含んでおり、そのために粘り気が強いものです。ハワイの溶岩流みたいに遠くまで流れないものです。浅間山の溶岩は、安山岩なので、流紋岩に比べると多少は流れます。だから、爆発力も流紋岩の火山よりはしません。ちなみに流紋岩の仲間に黒曜石があったりします。逆に、さらさら流れる溶岩が玄武岩。富士山や伊豆七島の火山に多いですね。溶岩のサラサラ具合を式に表すと

 玄武岩(伊豆) > 安山岩(浅間山) > 流紋岩(尖閣湾)

 ということになりますね。まあ、そんなことはどうでもいいとして、この岸壁の示す地形は、非常に興味深いですね。流紋岩が流れる火山は、日本では非常に少ない(昭和新山くらい)ので、巨大な流紋岩の絶壁をじかに見られるというのは、非常に幸運なことです。私も、ついつい見とれてしまいました。変な話ですが、佐渡島に住んでいるところは、こういうことになったが興味がなかったので、少し感慨深いです。

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私が流紋岩に見とれていると、息子の方は、波に見とれていました。波がよほど珍しかったんでしょうね。じっと見つめながら、ピクリとも動こうとしなかったです。

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あまり動かないので、もっと近くで波を見せてあげようと、洞窟をくぐってグラスボートの乗船場まで連れて行きました。すると、大波がおしよせ、嫁さんが息子を置いて逃げ出すしまつ。息子は足元がびしょ濡れ。まさに「親不知子不知」だったので大笑いしてしまいました。海を知らないと、こういうことがおこりえるんですよね。

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このあとは、水族館へ。

ここの水族館の面白いところは、サザエとかヒトデなんかに実際にさわれるところです。水槽の魚たちも、近くの旅館の晩飯とか、寿司屋にでてきそうな美味しそうなものばかり。つまり料理する前の魚の姿がわかるわけで、イシダイとマダイの違いがわかって、どの魚を食べたのかがわかるところです。

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ドクターフィッシュにもさわれます。

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タツノオトシゴの展示も面白い

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おまけにタライ船にも乗れる。
小さなプールにタライ船があるんです。

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ちなみに、この尖閣湾は、メロドラマ「君の名は」のロケで有名になったところですが、この「君の名は」のラジオドラマがはじまると全国の銭湯の女湯が空っぽになったというほどの人気で、映画が上映されると、1億人も動員するという記録がでたくらいの人気でした。ちなみに当時の日本の人口は8000万ですから、すごい人気でした。だから尖閣湾は、全国的に有名な観光地になったわけです。

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サドガシマン。
ここにも戦隊ものが・・・・。

しかも、島民にしかわからないギミックがかくされています。ザクザクゴールドは、大佐渡の象徴で、シマナガシブルーは、国仲の象徴ですね。で、トキレッドは、小佐渡の象徴でしょう。

 まぁそんな事は、どうでもいいとして、群馬県の嬬恋村にも戦隊ものを作ろうという話はあったんですね。愛妻家協会の山名さんが、村長や議員さんの前で、愛妻家の聖地として嬬恋村を売り出していこうという講演会を行っているときに、嬬恋村の議員さんたちが、どこかの役者さんか、アイドルを使って、愛妻家戦隊みたいなものをやろうじゃないかと、言う意見ががあったんですよ。

 その時に、博報堂の山名さんは、役者やアイドルなんかが、戦隊モノをやったとしてもだれも振り向きはしません。そんなことをやってもムダですと、はっきり言いました。犬が人間をかんでもニュースにはならないんですよと、そういう風に否定したわけです。ニュースになるのは、犬が人間を噛んだ話ではなくて、人間が犬を噛んだ話なんですね。なるほどと思いましたよ。

 じゃぁ人間が、犬をかみつけばいいんですよね。アイドルや役者が戦隊モノをやったて、誰も見向きはしませんが、もし、嬬恋村長と嬬恋村の議員たちが、着ぐるみを着て「愛妻戦隊ツマゴイジャー」をやったら、 NHKどころかCNNで世界中に放送されて、嬬恋村の観光客が10倍になることは間違いないですよね。

 これは良い案だ!
 ぜひ実行しよう!

 と、私と博報堂の山名さんは、ものすごく盛り上がったのですが、議員も村長も誰も動いてはくれませんでした。はっきりいってきます。この話をここに公開したのは、もう嬬恋村では、この動きはないと踏んだからです。もし他の市町村が、このアイデアを実行したならば、どんな過疎地であっても、世界中の注目を浴びる事は間違いないだろうと思います。このブログを読んだ、過疎地に悩む自治体の方々は、ぜひ実行してもらいたいと思います。やり方によっては、フナッシー以上に売れるときすき思います。

 話はそれました。
 尖閣湾には遊歩道があります。
 実はこの遊歩道が凄いですよね。
 崖ぞいに遊歩道があって、
 その反対に田んぼがあって、しらさぎが飛んでいたりするんです。
 昔は朱鷺も多かったとききます。

 新潟や佐渡できは、むかしは、朱鷺のこと「ツウ」とか「ドゥ」といって鳥追い歌で憎き鳥のひとつとして歌われました。一番はスズメ。二番はシラサギ。三番目はドウ(朱鷺)なんですよ。ちなみに佐渡島には鶴はいませんから、鶴の方言はありません。

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 尖閣湾の遊歩道を歩いた後は、車を走らせて、北片辺に向かいました。

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 北片辺には3年ほど住んだことがあります。
 ストリートビューでみると、こんなところです。

https://www.google.co.jp/maps/@38.1547896,138.3006662,3a,75y,197.64h,90t/data=!3m7!1e1!3m5!1sJ0Bkof7gEfhss9VnnvX1Xg!2e0!6s%2F%2Fgeo1.ggpht.com%2Fcbk%3Fpanoid%3DJ0Bkof7gEfhss9VnnvX1Xg%26output%3Dthumbnail%26cb_client%3Dmaps_sv.tactile.gps%26thumb%3D2%26w%3D203%26h%3D100%26yaw%3D20.071798%26pitch%3D0!7i13312!8i6656!6m1!1e1?hl=ja


 ここは、劇作家・木下順二が斎藤トラさんから民話「鶴女房」を聞き出して、それをもとに「夕鶴」として発表しています。そのために夕鶴のふるさととして売り出しているらしいのですが、私は首をひねっています。

 実は、私の母親は、小学校の教員で、私が0歳のときから3歳に北片辺小学校に赴任しています。当然のことながら私は、0歳から3歳まで北片辺に住んでおり、土地の老婆から大量の昔話を聞かされていますが、一度たりとも「鶴女房」の話は聞いた覚えが無いのです。もちろん忘れてしまっている可能性がありますが、他の話は聞いたことがあるのに「鶴女房」だけはない。

 で、6歳くらいになって「鶴の恩返し」を知ったわけです。で、小学校の5年生くらいになって、郷土学習で「鶴女房」を初めて知ったわけですが「あれ?」と思った。「鶴女房」と「鶴の恩返し」は全く別の話だったからです。

 まず「鶴の恩返し」のテーマはご恩返しです。主人公も老人です。

 しかし「鶴女房」はラブストーリーなんですよね。主人公は若者であり、それを見初めた鶴が嫁になるけれど、夫に裏切られて泣く泣く去って行く話なんですよ。この二つは、全く別な話なんですよね。で、ふと気づいてしまった。佐渡には鶴はいないことに。しかも北片辺。絶対に鶴がいなさそうな場所なんですよ。冬の北片辺に鶴が生息できない。

 そもそも鶴の羽は白いわけです。白い羽で機織りしても、白い生地が出来るだけなんです。それが綾錦という反物になって大儲けする設定が不可解なんですよね。しかし、もし鶴でなくて、朱鷺だったらどうか? 淡いピンク色の反物を織ったとしたら、かなり貴重な反物になっても不思議は無い。そもそも朱鷺の方言は「ドゥ」または「ツウ」なので、木下順二が斎藤トラさんから「鶴女房」を聞き出しているときに「ドゥ」を鶴と聞き間違えてもおかしくはないわけで、私は、「鶴女房」は「朱鷺女房」であり、鳥取の「鶴の恩返し」とは全く別の話では無いかと思っています。


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 ちなみに北片辺の手前に「鹿野浦」という地域があって、むかしは、ここに大量の農地がありました。今は、田んぼが放棄されているみたいですが、この山側にも田畑が大量にあったと記憶しています。しかし、この「鹿ノ浦」には、どういうわけか民家が無いんですよね。民家が無い理由は、安寿と厨子王の呪いのせいだと言われています。

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 これが安寿塚ですが、安寿と厨子王の話は、誰もが知っていると思います。映画にもアニメにもなっていますからね。映画やアニメでは、立身出世した厨子王が、佐渡でめくらになった母親と涙の再会をして、めでたし、めでたしでおわるのですが、「鹿野浦」につたわる安寿と厨子王の話は、もっと悲劇的です。救いようが無いのです。


 安寿姫と厨子王丸は、越後の直江津で、山岡太夫のため人買船に売られた。母は佐渡の島の鹿野浦に連れて来られ、虐待のはて盲目になってしまった。

 安寿恋しや ほうやらほう
 厨子王恋しや ほうやらほう

 と、毎日唄いながら、粟(あわ)の番の鳥追いをしていた。厨子王は出世して安寿とともに、母を迎えるため佐渡へ渡って来た。そして鹿野浦にいる母を探し出した。しかし、盲目の母は、いつも村の悪童どもに、おれは厨子王だ、安寿姫だと、だまされていたので、実際の安寿姫があらわれても嘘だと言って信じなかった。そして持っている杖で、打って打って、とうとう殺してしまった。それから、この「中の川」は、安寿姫の涙のために、毒が流れるようになった。その後、この鹿野浦は、その祟りで一軒も住む者もなくなり、村人は全部片辺村の北に移住してしまった。これが、現在の北片辺村であるという。また、母を虐待した佐渡二郎の子孫はみんな死に絶え、その家のあったところも荒れはてて、なにを蒔いても生えないといわれている。ちなみに

片辺・鹿野浦 中の水は飲むな
毒が流れる 日に三度

と、唄われているという。

http://www.s-life.ne.jp/pc/densetu/aikawa6.html (より参照)


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 実は、この伝説には裏があります。この「鹿野浦」には、粛慎(みしはせ)人が住んでいたんですよね。佐渡には、大勢の粛慎(みしはせ)人がいて漁労生活をしていたようなのですが、ほとんど滅び去っていていて、最後には「鹿野浦」くらいにしかいなかったんです。その最後の粛慎(みしはせ)人も川から流れてくる毒水で全滅してしまいます。

 その毒水の原因が鉱山です。「鹿野浦」の上流に鉛鉱山があったんですよね。鉛は金の精錬に必要だったんですよ。で、鉛の鉱毒が流れてしまった。だから粛慎(みしはせ)人が全滅したわけだし、その後に民家もできなかった。それが、安寿と厨子王伝説に転換されたのだと思います。
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2015年11月06日

佐渡ベルメールユースホステル

佐渡ベルメールユースホステル

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 海の見えるユースホステルです。
 徒歩50メートルでプライベートビーチまであります。

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とても綺麗で、オシャレなユースホステルでした。

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全室が和室でエアコン完備です。

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すごいのが食事。

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これ、東京で食べたら何千円とられるだろうか?

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これはブリカツ。
ブリをカツにするなんて、なんて贅沢な料理。
というかもったいない・・・と、思ったら美味しい!
最高に美味しい!

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ご飯は、かに御飯。
いつもはサザエ御飯だそうです。

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味噌汁もカニづくし。
当然のことながら、ビールをたのみました。
大瓶3本飲みました。
もちろん、他にも御客さんがいました。
2ヶ月間も連泊している御客さんが・・・・。
何か分かるような気がします。
私もリタイアしたら、こういうところで2ヶ月くらい連泊してみたいから。
ちなみに、女将さんと、若女将。

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女将さんには、すでに2回ほどあっていて、
「北軽井沢でユースホステルをやってます」
と言うと
「佐渡の人なら、どうして佐渡でユースホステルをやらないの?」
と言われたことがあります。当時は、
「いやいや、ライバルが増えるでしょ・・・困るでしょ」
と、思ったものですが、このレベルの食事を出せるライバルは、簡単にはあらわれないだろうなあ? だって、あきらかに元がとれてないですから。ちなみに下の写真が、若女将の御主人。

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これが朝食です。
美味しかったです。

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2015年11月02日

正しい佐渡島旅行入門3

大佐渡スカイラインで、佐渡島の展望を楽しみつつ、大平高原や乙和池を見学しつつ、下山していくと佐渡金山に到着します。けれど今回は、それをスルーして、外海府に向かいました。

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 歴史が好きならば、金山によらない手は無いのですが、うちの嫁さんは、歴史よりも海の方を見たい口なので、今回は、神社仏閣や金山といった歴史に関係ある観光は封印です。嫁さんの希望もあって、ただひたすら、海を眺める旅行になりました。

 これが私の一人旅なら、城跡とか名所旧跡巡りになるのですが、今回は息子と嫁さんに海を見せるのがテーマなので、私の歴史に関する解説は、これから後も全くありません。ちょっともったいないですね。ちなみに、金山といえば、佐渡をロケにしたサスペンスで定番なシーンが、金山の洞窟でおきるクライマックスです。かならず犯人が主人公を金山の洞窟で殺そうとするんですが、すると『ちょっと待った!』と刑事さんたちが登場する。洞窟においてある鉱夫の蝋人形(まねきん?)が、突然、動き出して、実は刑事さんだったというオチなんですよ。

 まぁそんな事はどうでもいいとして、車を走らせると、磯の香がするのが佐渡島の海岸道路です。下の写真を見てもらうとわかりますが、道路に稲を干す柱がたくさん並んでいます。これが佐渡島の原風景で、子供の頃は、このような柱をたくさん見たものですが、今では佐渡島でも外海府(そとかいふ)くらいでしかいられません。

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下の写真を見てください。
途中、巖に墓があったりします。
海岸沿いに墓があったり、崖下に墓があったりします。
そして、それらの墓にしおれてない新しいお花が飾ってあったりします。

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下の写真は、海府大橋です。

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 この橋ができるまで、佐渡島の外海府は、知床岬にも匹敵するほどの秘境であり僻地でした。車はもちろん人が歩くのも困難な場所で、昭和30ー40年代の登山ガイドブックにも掲載されていたくらいです。

 この海府大橋ができたのが昭和44年(1969年)で、私が小学校1年生の頃です。それまで佐渡島を1周する道路はなかったのです。外海府ユースホステルのある岩谷口から船に乗らないと隣の集落まで行けませんでした。いわば隣の集落は、佐渡島のチベットだったわけで、映画『喜びも悲しみも幾歳月』にも秘境の灯台として、ロケ地にもなっているくらいでした。それが今や簡単に行けてしまうのですから驚きます。

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 ちなみにこの海府大橋の下に、落差100メートル以上の大瀑布、大ザレの滝があります。そのすごさは、見る者を感動させます。これを見るためには海から船で見る以外に手段がないと言われていますが、実は簡単に見られる方法を私は知っています。海府大橋のつけねから、降りるルートがあるんですよ。危険なのでこれ以上は具体的に言いませんが、地元民でも知っている人はほとんどいない秘密のルートがあって、大ザレの滝がみられるのです。おまけに、その先に、秘密の洞窟があって・・・・おっと、これ以上は、やめておきます。 

 ところで佐渡島には、観光ガイドには全く載ってない大瀑布がかなりあります。しかし地元民もほとんど知りません。無関心なのです。で、その中の1つに7段の滝というのがあります。沢装備にロープを持っていかないといけないところにあるのですが、これもまた落差100メートル以上の滝が7段にわたってあるんですね。場所は外海府ユースのあるところから、 2時間ぐらい歩いたところです。もちろん登山道もありませんので命がけです。これも地元民がほとんど知らないと思いますけれどね。

 でも、知らなくていいんですよ。
 下手に知られたら、頭の悪い観光業者に開発されてしまうかもしれませんから。
 佐渡島の秘境は、もうちょっと眠らした方が良いと思います。

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 海府大橋からしばらく車を走らせると、大野亀に到着しました。ここは、 7月ごろになるとカンゾウが咲き乱れる別天地になります。それは美しい光景で、何時間も見とれてしまうほどの場所ですが、残念ながら花の季節は終わってしまっていました。

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 奥に見えるのは、 2つ亀です。中学時代や高校時代に、よく自転車で訪れたところです。今はどうかわかりませんが、私は高校生のデートスポットでもありました。というのも、その辺あたりの集落は『願』と言うんですね。何かを願うために2つ亀に行く人たちがいたわけです。ちなみに、ここも秘境の1つで、 2つある島の奥のほうには、非常に面白いものがあるんですよね。見た人は驚くと思いますが、そこまで歩いていく人は皆無なんですね。だから、佐渡島の地元民も、何があるのかを知らと思います。なので、ここではあえて何があるのかは書きません。行った人のみが、『なるほど』と感動してください。ちなみに今回は、私たちはそこまでたどり着けませんでした。時間切れでした。

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 下の写真は、外海府ユースホステルです。実は、 このユースホステルの初代ペアレントさんとは、私がユースホステルを始める前から、非常に仲良くさせてもらっていました。もうお亡くなりになっていますけれど。だから今回、このユースホステルに泊まってみたかったのですが、運悪く新潟県のペアレント会と日程が重なって、泊まることができませんでした。外海府ユースホステルの初代ペアレントさんは、佐渡島のことなら何でも知っている生き字引のような人でした。山も海も知り尽くしていて、人間国宝にしてもいいくらいな人だったんですが、お亡くなりになったのは残念です。

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ここが外海府の砂浜です。

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下の写真はレストラン海鷲跡地です。

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 佐渡島でもっとも美しい展望がのぞめるレストランだったのに廃墟になっていました。ああ、もったいない。大正時代を思わせる屋形で、味が合ってよかったのに。そのレストランでは、海軍珈琲なるものが、メニューにあって、ためしにたのんでみたらネスカフェがでてきました。280円でした。マスターは、佐渡弁がつよくて話が通じなかったですね。そういえば、佐渡に来た当初、やたら中国語みたいなものが聞こえてくるので「佐渡にも外国人が増えたなあ」と思って耳をすませてみたら中国語ではなくて佐渡弁でした。

 で、この日に泊まったのが佐渡ベルメールユースホステル。

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 嫁さんが希望した「海の見えるユースホステル」です。
 徒歩50メートルでプライベートビーチまであります。

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とても綺麗で、オシャレなユースホステルでした。

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全室が和室でエアコン完備です。

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すごいのが食事。

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これ、東京で食べたら何千円とられるだろうか?

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これはブリカツ。
ブリをカツにするなんて、なんて贅沢な料理。
というかもったいない・・・と、思ったら美味しい!
最高に美味しい!

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ご飯は、かに御飯。
いつもはサザエ御飯だそうです。

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味噌汁もカニづくし。
当然のことながら、ビールをたのみました。
大瓶3本飲みました。
もちろん、他にも御客さんがいました。
2ヶ月間も連泊している御客さんが・・・・。
何か分かるような気がします。
私もリタイアしたら、こういうところで2ヶ月くらい連泊してみたいから。
ちなみに、女将さんと、若女将。

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女将さんには、すでに2回ほどあっていて、
「北軽井沢でユースホステルをやってます」
と言うと
「佐渡の人なら、どうして佐渡でユースホステルをやらないの?」
と言われたことがあります。当時は、
「いやいや、ライバルが増えるでしょ・・・困るでしょ」
と、思ったものですが、このレベルの食事を出せるライバルは、簡単にはあらわれないだろうなあ? だって、あきらかに元がとれてないですから。ちなみに下の写真が、若女将の御主人。

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これが朝食です。
美味しかったです。

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2015年11月01日

正しい佐渡島旅行入門2

 2015年10月27日、私たちは佐渡島の妙見山に登りに行きました。途中、立派な杉林がたくさんありましたが、昔は雑木林だったところです。佐渡島の雑木林は、どんどんなくなりつつあります。代わりに杉が植えられて、紅葉は昔ほど綺麗ではなくなりました。ただし、蔦漆が杉の木に巻き付いて、非常にきれいな紅葉を見せてくれています。こういう風景は昔はありませんでした。植生の変化とともに、私たちを楽しませてくれる風景も変わっていくようです。

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 ここには昔、白雲荘という国民宿舎があったのですが、今は綺麗に撤去されて、その代わりに木造のレストランに変わってしまっていました。ここから見る佐渡島の風景は、すごい絶景だったのに、どうして国民宿舎の経営が成り立たなかったのでしょうか? 不思議でしょうがないですね。

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 さて、妙見山に登ろうとしたら、昔の登山道が閉鎖されていて自衛隊の基地になっていました。そして新しい登山道ができていたのですが、そのルートにびっくりです。

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 ここは、昔は、絶対に入っていけない場所だったからです。ここに入ったら最後、迷って出られなくなると言う場所が、大佐渡山脈には、何カ所かあるのですが、正しくその場所だったわけです。普通なら、こんなところに登山道を作るわけがない。第一、急すぎて、登山するお客さんに対しても不親切だろうと、不思議でなりませんでした。

 それならば、キャンプ場の方から展望台を経由して簡単に登れるルートがあったなぁと、そちらのほうに行こうかと思ったのですが、なぜこんなところに新しいルートができたのか、どうしても知りたかったので、息子を連れて登ることにしました。

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 ちなみに、どうして迷って出られなくなるかと言う理由を子供の頃に、過去の先生やボーイスカウトの人たちから何度か聞いたことがありますが、答えは決まって同じで「狢に化されるから」でした。しかし、それも今にして思えばおかしな話です。そんな訳は無いからです。けれど、迷って出られなくなるという話は本当で、私も子供の頃に、それを経験したことがあるのです。その理由が、この新しいルートを登ることによって、わかるかもしれないなぁと、ワクワクドキドキしながら登ってきました。

 で、わかりました。
 1発で解りました。
 確かにこの林は、迷いやすい場所です。
 ブナ林だからです。
 ブナ林は迷いやすいのです。

 そういえば昔佐渡島には、たくさんのブナ林がありました。そして、それらのブナ林の中に入ると、迷って出られなくなることが多かったと思われます。地元の人々は、それを狸のせいにしたんだと思いますが、タヌキもいい迷惑だったでしょう。あと、たかだか妙見山ごときの山で、登山届を出さなければいけない理由もわかりました。新しいルートのはブナ林だったからです。

 で、わざわざブナ林に新しいルートを作った理由も解りました。ブナ林のルートは商売になるからです。だから、もっと見晴らしの良い、なだらかで気持ちの良いルートがあるにもかかわらず、わざわざブナ林に新しいルートを作ってしまったわけです。これは、環境保護の観点から、観光の観点からも、賛否両論かもしれません。

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 それにしても、この自衛隊の基地には驚きました。昔は、もっと緩やかな感じだったのですが、この新しい基地は警備が厳重です。とてもでは無いですが、素通りして大佐渡山脈を縦走することはできません。届け出を出さない限り無理なようです。米ソ冷戦時代の自衛隊の基地は、もっとおおらかでした。歩いて通行する限り自衛隊の道路を自由に行き来できたのです。しかし、米ソ冷戦時代よりも今の方が警備が厳重なのは、どういうことなのでしょうか?

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 ところで、中学校時代や高校時代に、この妙見山によく登ったものです。写真のように、石垣があるのは、大昔から続いている信仰登山の証でもあります。中学生の頃は、家族が旅行に出かけた後に、ひとりで妙見山に登り深夜にここで座禅を組みました。意外に思われるかもしれませんが、佐渡島の山は暗くありません。海のあちこちに漁火があるために、非常に明るいです。ましてや月夜の晩ともなると、真っ昼間のように明るいです。おまけに島の夜景も輝いています。この島では、いちばん大きな動物が、タヌキぐらいのものですから、闇が怖いという感覚も起きてきません。これが、本土だったとしたら、大分違っていたんでしょうが。

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 妙見山から下山して、しばらく車を走らせると、大平高原があります。懐かしかったので、散策してみました。ここには土産物屋があったりして、そこのおばちゃんの息子さんが、旅好きで、世界中を回っているという話を20年前に聞かされたことがありましたが、その土産物屋も、この通り廃墟となって薮の中に埋もれてしまっています。あのおばちゃんは、今、何をしているんだろうか?と感慨深く思ってしまいました。昔は、観光地として有名だった大平高原も、今や閑古鳥が鳴く単なる牧場跡地となってしまっています。ここは佐渡島でも有数の眺めが良いところなので、もったいないといえばもったいないです。

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 そして、大平高原から少しばかり車を走らせるとあるのが乙和池です。ここも高校時代によく訪れたところで、乙和(おとわ)伝説の場所です。乙和伝説を佐渡の人なら知らぬ人はいません。

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 どんな伝説かというと、こんな話です。

 昔、とあるお寺に、女の子の赤ちゃんが捨てられました。お寺の和尚さんは、縁あってのことと思い、その赤ちゃんを育てることにしました。赤ちゃんは、乙和と名づけられました。乙和は、すくすくと大きくなり、村の人たちからも可愛がられ、誰からも愛されました。そして10歳ぐらいの頃、乙和は和尚さんに尋ねました。

「和尚さん、和尚さんは、どうしてみなしごの私を育ててくれたんですか? 」
「それが仏の道というものなのだよ」
「仏の道とは、どういう事なんでしょうか? 」

 和尚さんは良い機会と思い、乙和に仏の道を教えることにしました。

「昔、旅人が荒野で行き倒れになったことがあった。そこに、熊と狐とウサギが通りかかった。それを哀れに思った熊と狐とウサギは、旅人を助けることにした」
「・・・・」
「熊は川で魚をとってきた。狐は木の実をとってきて旅人に差し出した。しかしウサギはどうしても人間が食べられるものを見つけられなかった」
「・・・・」
「ウサギは旅人に言った。『私には何もしてあげられません。なのでこの体を食べてください』そしてウサギは、燃え盛るたき火の炎中に飛び込んだのだ。旅人は必死になって火を消したのだが、間に合わなくて作業黒こげになってしまった。旅人は、そのウサギの行いに号泣しつつ、ウサギを食べたという」
「・・・・」
「どうした? 乙和、なぜ泣いている」
「ウサギさんがかわいそうです」
「かわいそうかも知れぬが、ウサギは輪廻転生の後に人間に生まれ変わった」
「人間に? 」
「良い行いをすれば、人間や菩薩に生まれ変わる。逆に悪い行いをすれば、畜生や餓鬼に生まれ変わる。ウサギはその行いゆえに人間に生まれ変わり、そしてお釈迦様としてこの世に誕生したのだ」
「では、乙和も良い行いをすれば、良い人間に生まれ変わることができますか? 」
「もちろんだとも」
「お父さんと、お母さんがいる、おうちに生まれかわることが出来るんでしょうか? 」
「うむ」
「では、乙和はこれから、ひたすら良い行いを心がけます」

 その日から、乙和は、村人の手助けをするようになりました。あちこちに出かけては、困っている人たちの手助けを始めたのです。もともと村人に可愛がられていた乙和ではありましたが、乙和のさらなる手助けによって、村人はますます乙和を可愛がるようになりました。誰もが乙和を愛し、誰もが乙和を自分の娘のように可愛がってのです。乙和には、血の繋がった両親こそいませんでしたが、村人の誰もが乙和の父親であり、母親になっていました。

 話わかりますが、ある年、村に日照りが襲いかかりました。何日も何日も雨が降らなくなったのです。乙和は、村人たちの助けになろうと、いろいろ動こうとするのですが、村人たちは、力を落としたままです。

「畑の雑草を取りましょうか? 」
「無駄だ、こんなに日照りが続けば、雑草をとっても意味がない」
「川に水をくみにいきましょうか? 」
「ありがとうよ、でもな、川に水なんかありゃしない。このままでは、村は全滅だ。雨さえ降ってくれればなぁ」

 村の人たちは、無気力にため息をつくばかりでした。何もできない乙和、何の力にもなれない乙和が、すっかりしょげ返っていると、和尚さんが元気づけるように
「山菜でもとりに行こうか」と言ってくれました。「少しでも山菜を集めて困っている村の人たちに差し上げよう」というのです。

 乙和は喜んで、和尚さんと一緒に山の中に入っていきました。山には、食べられる山菜などがたくさんありました。乙和は、村の人たちのことを思って、一心不乱に山菜を取り続けました。あまりにも熱心なので、どんどんどんどん山奥に入っていき、和尚さんに呼び止められたのです。

「乙和、そこから先には行ってはならん」
「なぜでしょうか? 」
「そこから先は、女人禁制なのだ」
「・・・」
「女が足を踏み入れると竜神様の怒りに触れる。だから、そこから先には絶対に行ってはならん。もう帰ろう。山菜は充分にとれた。これだけあれば、村の人たちも大喜びだ」
「・・・」

 何を思ったのか、 突然乙和は、女人禁制の場所にどんどん走っていきました。

「乙和! ダメだ! 戻ってこい!」
「和尚様、お許しください」
「どうしてだ乙和! そっちへ行っては竜神様の怒りに触れるではないか」
「和尚様、村の人たちによろしくお伝えください」
「乙和!」

 山は、次第に雲行が怪しくなってきました。
 突風が吹き荒れ、雷が鳴り出しました。
 しかし、乙和は、どんどん山の中に走っていきました。

「竜神様、お怒りください。私を罰してください」

 雷鳴は轟き、突然、嵐が起こりました。

「乙和! 乙和! 乙和!」

 雨は7日間降り続き、村は救われました。
 乙和は、二度と帰ってきませんでした。

 毎年7月23日の乙和の命日には
 乙和の霊を慰めるために「乙和池まつり」がおこなわれています。

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つづく。

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posted by マネージャー at 15:44| 佐渡島 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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